企業経営において「エンゲージメント」と「モチベーション」は、どちらもパフォーマンスに関わる重要な言葉ですが、その意味合いは大きく異なります。 モチベーションが「個人の行動の原動力(主語は個人)」であるのに対し、エンゲージメントは「個人と組織の相思相愛の繋がり(主語は関係性)」を指します。従業員が会社のビジョンに共感し、自発的に貢献したいと思う「絆」こそがエンゲージメントであり、これが高い組織ほど生産性やパフォーマンスが向上することが分かっています。
しかし現在、日本企業のエンゲージメント低下が叫ばれています。あるデータによると、熱意ある従業員(エンゲージしている層)はわずか6%、対して「エンゲージしていない層」が71%、「不満を撒き散らしている層」が23%という衝撃的な実態があります。 かつて「働く意欲が高い」と言われた日本人が、なぜこうなってしまったのか。その背景には、企業カルチャーが「従業員第一」から「株主第一」へとシフトし、ガバナンスやルール遵守を重視するあまり、組織が「性悪説(ルール違反は罰する)」に傾いてしまった実態があると考えられます。
「管理のノルマ化」と懲罰的文化の限界
私自身、2006年から組織マネジメントの中でエンゲージメント調査(サーベイ)を活用してきました。当初直面したのは、「調査結果に対する改善計画を人事に提出すること」自体が目的化する、形骸化したノルマ主義という問題でした。 これでは組織は変わりません。私は部門長、そしてIT子会社の社長を歴任する中で、このツールをポジティブな「組織開発の武器」として再定義し、「性善説」に基づくチームワーク重視の風土づくりへ舵を切りました。
この「管理から風土へのシフト」の重要性は、昨今の安全研究や品質不正の分析でも同様に指摘されています。 昨年の伊藤教授による安全研究では、従来の「人中心の安全対策」が陥る罠が指摘されていました。それは、ヒューマンエラーの原因を作業者の怠慢やモチベーション低下とみなし、ルール遵守の強化や懲罰的な手段(しつけ・再教育)で解決しようとするアプローチです。この「ミスを犯した人間を非難・排除する懲罰的文化」は、結果として組織を萎縮させ、心理的安全性を奪います。 近年の品質不正問題も根っこは同じです。不正を防止するには、単なる管理技術の教育だけでなく、経営トップがコミットし、「不合理を不合理と言える」心理的安全性と、正しい倫理観を育む企業風土の醸成(=組織との信頼関係の構築)が不可欠なのです。
IT子会社社長として直面した壁と「人事制度改革」
私がIT子会社の社長に就任した際も、まさにこの「風土の硬直化」という壁にぶつかりました。 当時はエンゲージメント活動が義務化されており、一般社員のスコアは低迷していました。特に「仕事や職場の魅力」「社内コミュニケーション」の数値が全社平均を大幅に下回っていたのです。職場には活力がなく、現状維持の「事なかれ主義」や「建前主義」が蔓延。一方で、基幹職は管理業務に追われ、部下のキャリアデベロップメント(職業成長)への支援が圧倒的に不足していました。
この課題に対する私の回答が、「基幹職の役割転換」と「人事制度改革」でした。 基幹職のミッションを「業務の管理」から「部下の育成」へと180度転換。単なる業務知識の補填ではなく、中長期の人材育成ビジョンを透明化しました。さらに、単なる「個人間のお悩み相談」としての1on1に留まらず、一般職と基幹職の満足度のギャップを可視化し、組織全体の仕組みとして環境改善に注力しました。
次世代リーダー育成と「自律的改善文化」の要諦
次世代リーダー育成と「自律的改善文化」の要諦
現在、私は「次世代ITリーダーの育成」というテーマに取り組んでいますが、多くの企業が足元で同じ壁にぶつかっています。「明確な次期リーダー候補がいない」「生え抜きに経営目線が足りない」「外部からの転職組に頼らざるを得ない」という現状です。これはSCM(サプライチェーン・マネジメント)部門でも全く同様で、SCMプロパーの役員が育たず、部門の位置づけが「ただの調整弁」として低く見られ、メンバーのモチベーションが低下するという悪循環に陥っています。
これらを打破し、組織を牽引する本物のリーダーを育てるヒントは、「自律的な改善文化の醸成」に焦点を当てたエンゲージメント改革にあります。
優れた先行事例では、以下のような多層的な仕組みが機能しています。
•属人化の排除と公平な機会: 業務を標準化して多能工化(応援体制の構築)を進め、海外経験を含む明確なローテーション計画と職能面談を連動させる。
•経営層と直結する対話: CEOから管理職まで階層ごとのワンオンワンミーティングを徹底し、現場の困り事を早期に吸い上げる。さらに、若手が経営層に直接プレゼンする機会(提案コンテストなど)を設け、当事者意識を高める。
現状に満足せず、セクショナリズムを排してエンド・トゥ・エンド(全体最適)で物事を捉える。そして過去の成功体験を疑う批判的思考を持つこと。これらは、従業員が「この組織で成長できる」という確信(エンゲージメント)を持って初めて生まれる姿勢です。
エンゲージメントの向上とは、単に「居心地の良い職場」を作ることではありません。従業員のキャリア開発に本気で向き合い、自発的に挑戦できる環境を整えること。それこそが、日本のIT組織やSCM、ひいては企業全体を牽引する次世代リーダーを育てる唯一の道なのです。
