日本はなんでこんなに落ちぶれてしまったのか (熊田成人)

最近「日本が落ちぶれた」との言葉を聞くことが多くなった。確かに名目GDPの順位は落ちているのだが、絶対値では下がっていない。他国の上昇に対して日本の伸びが遅いので相対的に低下している様に見える。図1 は2023年におけるトップ15か国の内、とびぬけて成長している米国と中国を除いた13ヵ国のGDP推移を1990年から示したものである。特にこのところの円安が、ドル建てのGDPに大きく影響している。

図1 2023年トップ15か国(米国・中国を除く)名目GDP推移 (百万US$) 

             資料:GLOBAL NOTE 出典:IMF の データに国名・円レート等筆者が追記

https://www.globalnote.jp/post-1409.html

なぜ日本の成長が思わしくないのだろうか。その一因として日本の製造業や技術革新の国際競争力が相対的に低下した事が挙げられる。

 

嘗て輝いていた日本、それはやはり製造業の強さにあったのではないか。そしてその後の凋落の代表格は電気産業であろう。

筆者の所属していた半導体分野についてその盛衰を技術面から振り返ってみたい。

 

《成長期》 

半導体がデバイスとして産声を上げたのは1945年、第二次世界大戦の終結直後であった。当時、世界は冷戦時代に入りつつあり、日本に対しても、半導体の情報が惜しみなく提供された。その中でソニーが世界で初めてトランジスターラジオを量産化し、電卓などでもシェアを伸ばすなど、日本企業は産業機器で発展し始めた。然し、最先端技術は米国に抑えられ、また高額なライセンス料を支払っていた。政府は日本の技術を高めるため1976年から超LSI技術研究組合を結成し、官民合同によるVLSI製造技術の研究開発を進めた。1978年から当時最先端の64KDRAMの量産を開始した。これは、大型コンピュータや航空機等の記憶素子(メモリー)に使われ、高い信頼性が求められていた。

 

《パックスニッポニカ》

1980年、HPから驚愕の調査結果が発表された。即ち、日本製のチップが米国製よりはるかに高品質との結果であった(1000時間故障率 日本(3社)製:0.02%以下 米国(3社)製:0.09%以上)。これにより、IBMなどから大口の注文が日本の半導体メーカーに来るようになリ、日本半導体(DRAM)の春が訪れたのである。米国の半導体メーカーの多くはDRAMから撤退し、暫くの間、ライバルは日本のメーカーのみであった。

 

《衰退期》

米国を大きく凌駕した日本の半導体に対し、米国のメーカーは日本の製造技術を徹底的に研究すると共に、米国政府も理不尽ともいえる対応を取った。所謂「日米半導体戦争」である。然し、ここでは技術面について考察したい。先ず、市場におけるメインのニーズは、大型コンピュータからパソコンへ移り、半導体に求められる価値は、品質から徐々に価格に移って行った。人件費が安く、技術移転により開発費を負担していないメーカーの製品は、低価格で当然と考えたが、米国で唯一DRAMから撤退しなかったマイクロンは、徹底的に日本企業の研究をした上で、ホトリソ工程の回数を日本の24回に対し、16回で製造し、低価格化を実現した。市場のニーズは大型コンピュータに求められる程の高品質は求めなくなっていたのである。日本のメーカーは、高品質路線を捨てられなかった。政治的な圧力もあり、儲からなくなった半導体製造から撤退する日本メーカーが増えて行った。2013年、エルピーダメモリがマイクロンに買収され、日本メーカーによるDRAMの製造が終了した。

 

日本復活の道

 図2は市場の変化とわが社の位置付けのイメージを表したものである。わが社がど真ん中にあった市場が徐々に移っていった時、市場が戻って来るのを待つか、市場の変化を高い感度で検知しその変化に合わせていくか、若しくは我社の周りに新しい市場を創出していくかが生き残り勝ち残っていく別れ道ではないか。

半導体の市場も、その後 大型コンピュータ用メモリー ⇒パソコン用半導体(インテル)⇒スマートフォン用半導体(アップル)⇒AI用GPU (エヌビデァ)へと移り、そこでの勝者も移って行った。

図2 市場の変化と我社の位置付け

半導体製造は微細化が進み装置産業化している。日本人の得意な擦り合わせ技術の余地が少なくなっているのは事実である。その中で、半導体チップ全体としてはシェアを落としているが、脱炭素、EV、省エネで貢献の見込まれるパワー半導体は、日本メーカーを合わせると30%程のシェアを持つ。 画像センサー(46%)、セラミックコンデンサ(60%)も健闘している。更に、半導体材料、半導体製造装置では日本メーカーが大きな存在感を放っており、80%を超えるシェアを持つ装置、材料も少なくない。まだまだ戦う余地は残っている。技術士も積極的に企業と関わり、コンサルの場やセミナーなどで貢献し続ける必要がある。

 

資源の乏しい日本において復活の道はやはり「人」しかないであろう。特に技術力は日本人の特性を活かす主要な要因である。然しながら、国も「技術立国」などと言っているが、最近の若者の技術離れが囁かれている。技術に触れる機会が少なく技術に興味を持つ機会が少ない事も一因と考える。実務を通して技術を熟知している技術士が、中学、高校などの教育現場に出かけ、その面白さを伝える活動も重要と考える。

 

以上